1999年から親の会の活動してきて、いろいろな講演会を開催したり研修に参加してきました。
その資料を整理して再び読んでみたのですが、忘れないように書いておくことにします。
「不登校の歴史」
アメリカ・イギリスで学校に行かないことが問題になり始めたのは1930年代。「なまけ」ということで問題になっていたようだ。
不登校はアメリカ・イギリスと日本でだけ問題視されていたそうだ。
日本では1960年代から不登校が問題視され始めた。日本の高度成長期。社会構造が変化してきた時代。「学校恐怖症」とか言われていた。家族の要因、本人の問題に焦点が当てられていたようだ。
1980年代、学校が競争と管理の教育の時代となり不登校が急増。
奥地圭子さんの講演会資料によると、不登校はこんな風に言われていた。
・学校に行って当たり前
・登校拒否は怠けである。甘えである。病気である。
・耐性がない。弱い。人間のクズ(ひどい・・・)
・問題行動である。首に縄をつけても学校復帰させなければ。
学校の対応は・・・
・お迎え。電話。家庭訪問。
・校門タッチ。強制登校
家庭では・・・
・たたきおこす。たたきだす。殴る。
・ご飯を作らない。小遣いをあげない。
・薬漬け
・病気ととらえると→精神科閉鎖病棟へ
・なまけと考える→矯正施設へ(戸塚ヨットスクールとか風の子学園とか)
子どもは・・・二重の人権侵害で追いつめられる。
・学校に行けなくなるまでつらい目にあう。
・いかなくなったことを理解されない。
子どもの身体状況・・・
・腹痛。頭痛。嘔吐。めまい。失明。難聴。
子どもの精神的症状・・・
子どもの生活状態・・・
・人間関係の悪化。昼夜逆転。無気力。家の占拠・・・
西村秀明さんの資料によると、日本でも精神科領域ではいろいろな分析がされてきた歴史がある。80年代頃まで学校に都合のいいような解釈が多いのかなと思う。1985年前後から不登校への考え方が家庭や本人の問題のみではないのではないかという動きが始まるが、1989年の稲村論文が大きな変化へのきっかけなのかもしれない。1992年文部省は「不登校は誰にも起こりうる」と考え方を転換。学校の在り方が問われるようになっていく。以後、学校システムは変わらないまま不登校対策が取られるようになっていく。
・・・という歴史。
長い歴史がありますが、現在も同じような考え方、対応の仕方がつづいているのではないかと思う部分も多いです。親の会では学校の対応などいまだに同じようなことをされているということもよく聞くことです。学校のシステムも併せて変えていかないと、支援といっても対処療法でしかないということでしょうか?
発達障害と不登校とか、貧困と不登校とか、問題も多様化していることが見えてきて、とらえ方が地域格差も大きい問題です。
今後、どのような活動をしていけばいいのか?と思うところです。