廿日市市社会福祉協議会には、不登校の児童生徒やひきこもりの青年が集まる「居場所」がある。
不登校の保護者支援から発生した、ちゃんとした廿日市市社会福祉協議会の事業である。
「何かをしなければいけない場所」では、学校に行けない・行かない人や社会から離れている人には居心地が悪いだろうと思い、「何もしない(しようと言わない)場所」を作ってみた。
外とつながれない人の「はじめの一歩」でありたいとの願いをもって居場所をオープンした。
今は、中学生と青年たちが出たり入ったりしている。
「管理している大人」はいない。仲間のような大人(管理者だったりボランティアさん)は居る。
来る時間も帰る時間もそれぞれ。
今日は調子が悪いんだけれど・・・と言いながら来てみたり、元気だよ〜!!と言っていても2時間くらいで帰ったり。
「居場所」では初期のころは来た人がそれぞれ好きなことをてんでバラバラにやっていた。
時々誰かが「花見に行きたいね〜」とか「料理してみる〜?」とかつぶやく。
それに乗ってくる人もあれば、マイペースな人もいる。
行きたい人は行くし、残る人は残る。やりたい人はやるし、やらない人はマイペース。
張り切って準備してくれる人もいれば、何もせず遅れて来て参加する人もいる。
学校や社会とつながりにくい、孤立しがちな生活をしてきた人たちだが、それでもだんだんと人と話をするようになり、何かすると言うといろいろな形で参加してくるようになった。
誰も、強く誘ったり、「ちゃんとしてよ」とか「なんで行かないの?」とか言わない。
そのような言葉で学校や社会で傷ついてきた経験からか、お互いを思いやる感じがとても心地いい。
最近は、誰かが何かをしたいと提案すると、賛同してくれる人たちで出かけていく。
宮島に行ったり、買い物に行ったり、バーベキューをしたり。
全く学校に行っていなかった生徒が行くことができるようになったり、自分の意志で「今日は居場所で過ごす」と言って来てみたり。
人と会うことが怖くて電車に乗れなかった青年が、安心できる仲間と一緒だと電車に乗って出かけられる。
だんだん、ほかの人とも話ができるようになり、一人で電車に乗れるようになっていった。
仕事に就くことが怖かった青年も、短時間のアルバイトができるまでになった。
大人たちは不登校児や引きこもっている青年たちに「何もしない。困った困った」と言うけれど、「しない」のではなくて「できない」のかもしれないし…
彼らが回復していく力があるならば、自分でその力をはぐくむしか方法がない。
言葉で指図し、追い込んでも何も生まれない。
必要なのは「何もしない時間」も認めることであり、その時間の使い方なのではないか。
安心できる人たちとのつながり、自分のペースで動ける場所も必要なんだろうと思う。
そしてだんだんと「普通」の世界につながっていくかもしれないし、自分の世界を広げていくかもしれない。
小さい変化がとてもうれしく思える、居心地のいい空間である。
地味〜に、ゆっくりまったり過ごしている小さな小さな居場所です。
興味があれば、のぞいてみてください。「何もしていません」けれど・・・