あまりお日様を見ることなく8月も終わる。
広島では災害があり、ボランィアの関係などで仕事があわただしい。
全国からの暖かいご支援に感謝しています。
さて…
学校が始まることに不安を持っている子どもさん、保護者も多いことだろう。
「始業式の1週間前から発熱している」という子もいる。
長期の休み明けに一番心配なのは、自らの生命を絶ってしまう子どもがまた出るのではないか、ということ。
「学校へ行くこと」が『生命を大切にすること』よりも重いことなどない。
学校に行くことがつらかったら、しんどい思いをしているなら、
学校を休もう!
長い休みのあとなのに、また休むのは勇気がいることだけれど。
休むことで得るものもあるんだよ。
学校に行かなかったらどうなるのか。。。
その心配は大きいと思う。
でも、全国に同じような経験をした人はたくさんいる。
たくさんの経験者のお話を聞いてきたけれど、すてきな生き方をしている人が多い。
「学校に行っていないけれど、こんな自分が好きだ」
「ひきこもっているけれど、これが自分らしい生きかただ」
などなど、年齢を重ねた私が聞いていても楽しい話を聞かせてくれる。
2学期がいやだな・・・と思う人、心配な人・・・
不安を持っていることを吐き出してください。お話を聞きますよ。
どうしていけばいいか、一緒に考えていきましょう。
生命は絶たないで!
参考までに…茂木健一郎さんがフェイスブック(8月29日付)に書かれたこと。
むりしなくてもいい。
ある時期、学校に行かないで、はっと気付くと、「出席日数が足りない!」と思ってあせる、という内容の夢をよく見た。実際には、ぼくは、小、中、高とレギュラーに学校に通っていたけど、夢の中で、「学校に行っていない!」「もう手遅れだ!」と感じるその質感はリアルであった。
どうして不登校の夢を見たのかというと、きっと、ある時期からぼくの人生が「非典型」になって、毎日同じ場所に通うというスタイルから離れてしまったからだろう。心のどこかで、「きちんと生きていない」みたいな圧迫感を無意識のうちに感じていたに違いない。今はそういう夢もなくなったけど。
「不登校」の子どもたちに、「学校に行かなくてもいい」「無理しなくてもいい」と伝えるビデオ https://www.youtube.com/watch?v=_M3RFKaamsE … を見て、その趣旨に賛成するとともに、「学校にきちんと行くべきだ」という規範がいかに根強いかということを、改めて思った。
「登校は義務である」とか、「学校に行かないと社会性がつかない」とか、狭い通念が、学校に行きにくくなった子どもたち、その親たちを苦しめているのだろう。実際には、行けなかったら行かなくてもいいし、学校に行かなくても学びはできる。また、学校に行かなくても、社会性は育むことができる。
一般に、何かをやろうと思って、「むり」だと思ったら、それを強いてしなくてもいい。行きたくなったら、自然に人間は行く。それを無理して通っていると、そのひずみは必ずあとでしっぺ返しをするし、何よりも、本人にとってもその「むり」を強いているシステムにとっても、なんの利益にもならない。
アメリカで、100万人単位でホームスクーリング(在宅で勉強する)の子どもたちがいるのは、広大な国土という地理的条件もあるのだろうが、学びが通学を必須としないという事実を伝えている。どちらがいい悪いではない。学びのあり方は多様であるという事実を知るだけで、風景が変わる。
不登校になったり、学校をやめたり、そのあと大検を受けて進学したり、といったひとたちに時々会う。社会性もあるし、むしろ、悩んだ分、すてきで深い人になっていることも多い。学校に通わないと社会性が身につかないという間違った固定観念を振り回す大人は、害が大きいと言えるだろう。