オルタナティブ教育法 【提案の趣旨】�A

オルタナティブ教育法の提案の趣旨 》その2

 これは、不登校が抱える問題の解決にも大きく結びつくでしょう。わが国には不登校が増加し始めて30年有余の月日がたち、文部科学省の調査によれば2009年度の小中学生の不登校数は12万3000人であり、ここ数年12〜13万人の高い数字を推移しています。これまで教育政策における不登校への対応としては、きっかけや原因、本人の気持ちや意志に関係なく、学校復帰が前提とされてきました。そのため、登校圧力が本人を追い詰めたり、登校できないが登校しなければならないと考え苦しい葛藤を生んだり、学校へ行か(け)ない子はダメ人間と自らを考え、自己否定と自信のなさでいっぱいな子供をかなり生み出してきました。学校教育に苦しみ、自分には合わなくとも「学校」しか育つ場がないとされる社会の中で、学校に戻されようとし、幾多の悲劇や辛さを生んできました。四半世紀たった今も、学校復帰にこだわる学校行政、親、社会のもと、克服を期待され、治療の対象とされ、意に反した日常を送って苦しいという子は後を絶ちません。この状況は変革される必要があります。

 フリースクール等で、不登校の子どもたちの多くは元気に成長し、自立への道を歩み、現在、社会人として学び、働き、結婚して親になっている人もかなりいます。この事実は、人が成長するのは、学校のみではないことも裏書きしています。

 そして、人は安心できる自分に合った場所でこそ、よき成長をし、能力を開花させることが分かります。オルタナティブ教育が、社会的に権利保障として位置づく時、選択肢が広がり成長しやすくなることは想像に難くありません。また長い間、登校への義務感に苦しめられ、罪悪感、劣等感でつらい思いをしている子ども・若者も、オルタナティブ教育法の存在により、堂々と学校教育以外の教育のあり方を選ぶことができるようになり、どれほど楽になるかわかりません。

 

 以上のことを考えあわせるとき、多様な個性と学習ニーズを持つ子ども、若者が存在する現代日本において、学校教育以外の様々なオルタナティブ教育が子どもの学ぶ権利、教育を受ける権利を保障する場として、公的保障のもとで国民が活用できる教育制度として位置づけることが、教育の機会均等を実現する上でも必要です。この新しい制度による教育は、憲法で言う、普通教育を受けさせる義務すなわち親の教育義務を果たすものとしても位置づけられるべきです。

そのためには、学校教育法しかない現状を変え、オルタナティブ教育法を新規に制定し、法律の根拠をもって、そこで学ぶ子どもたちとその家庭が学校教育法上の学校と同様に保障される必要があります。同様の保障とは、卒業資格が出せ、公的予算が充てられ、学校教育との相互の乗り換え選択が自由にでき、また進学や進路線テクにおいても不利益を被らない状態のことであり、格差がない状況をつくることです。

この新法により、現在、学校教育法しかない中で学校と距離をとるに至った子どもは、問題行動を起こしている子どもとして扱われたり、あるいは学校に来られないかわいそうな子と見られたりして罪悪感や劣等感を持つ現状から、自らに合った教育選択という形に変わり、自己肯定度はぐんと高まるでしょう。そして、その仕組みを社会が活用する経験を重ねる中で、不登校への意識も、「学校へ行っていない子」ではなく、「フリースクールへ行っている子」、「ホームエデュケーションで育っている子」などと少しずつ「不」という否定的な表現が消えていくことでしょう。もちろん、蛇足ながら、この法律で不登校の一切の問題が解決するわけではないことは言うまでもありませんが、しくみが変わることは、子ども・親の苦しみの軽減に大きく貢献することでしょう。また、教師も、学校に来る気になれない、あるいは登校しにくい子どもに、何とか来させようとして不毛な努力をし、子どもや家庭との信頼感を崩すようなエネルギーの消耗からかなり解放されることになるでしょう。

 さらに、日本社会としても、現行の学習指導要領に基づいた学校教育一本でなく、学校教育以外の様々な教育を国民が創造したり、選べたりすることにより、教育の在り方が多様に花開き、豊かな教育が存在する社会となっていくことが期待されます。

 そして、子どもたちが、決められた教育の中で、自分の個性に合わず苦しむ、あるいはストレスや不信感をため込んでいくことから解放され、安心と自信と他者への信頼の中で、生き生きと育つ幸せな子ども時代を手にすることに寄与するでしょう。以上の趣旨により、(仮称)オルタナティブ教育法の制定を提案します。(終)