オルタナティブ教育法 【提案の趣旨】�@

現在関係者が検討している「オルタナティブ教育法」とはどのようなものか、NPO法人全国フリースクールネットワークが発表している「骨子案」から【提案の趣旨】を2回に分けて紹介します。

オルタナティブ教育法の提案の趣旨 》その1

 私たちは、多様な個性の子どもたち、多様な状況を生きる子どもたちが、安心して育ち、自他を尊重し、個性を伸ばし、幸せに成長できる社会を願っています。日本国憲法は、戦前の天皇制教育への反省に立ち、国民主権の原理のもと、「国民は教育を受ける権利を有する」(第26 条第1項)と定めました。そして、子どもたちの「教育を受ける権利」を保障するために「国民は、保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする」(第26 条第2 項)としました。

教育は、臣民としての義務ではなく、学び育つ主体としての子ども自身の基本的人権として、学ぶ権利を保障する営みに変わったのです。その権利を満たすため、学校教育法が作られ、行政は学校設置義務を負うことになりました。そして戦後60年あまり、日本の教育は、高い就学率を誇り、ある意味、経済の高度成長を支え、かつて見られない高学歴社会となりました。

 

しかし、いじめ、いじめ自殺、不登校、別室登校や部分登校、子どもをめぐる事件、学習意欲の低下、学級崩壊、校内暴力の増加、発達障害への無理解等、種々の問題を抱え込んでいます。これらの状況は、子どもたちの教育を受ける権利が充分満たされておらず、自分にあった学びや成長ができずに苦しんでいる姿だと、私たちは感じています。

では、どうしたらいいでしょうか。

 日本の教育は、学習指導要領にもとづく内容を実施することになっており、全国的に単一な教育内容を行っているとも言えます。そのため、豊かな個性・感性を持つ子どもたちが、自らを発揮しにくく、また、自己を押し殺して、学校教育の枠に合わせようとすることも生じ、強いストレスを受けています。その上、国連子どもの権利委員会でも指摘された競争教育の弊害にさらされ、苦しんでいる子は多いのです。多様な教育が存在し、それが社会的に位置づくことにより、教育は豊かになり、幸せな子どもたちは増えると言えます。その根幹に、自ら求める学びが保障されるしくみが必要と言えましょう。

 先述したように、子どもたちは、学び育つ主体として、普通教育を受ける権利をもつことが明記されていますが、その権利を満たす学びの場として学校教育法に規定された場しか保障されていません。本来、普通教育は、学校教育のみでしかできないものではなく、国の内外で様々なオルタナティブな教育が展開してきました。すでに1980年代半ばより、学校教育と距離をとる子どもたちが増える中、市民・民間では学校制度外に、フリースクール、フリースペース、ホームエデュケーション、さまざまなニーズにそった学びや体験の場をつくり出し、子どもたちの成長支援をやってきました。その歴史は古く、すでに四半世紀の実績を積んでいます。いわば、市民・民間・NPOなどによって教育を受ける権利の保障を進めようとしてきたと言えます。学校には行かない、行けなかった子どもたちが、フリースクール等には多数やってきて、元気に、あるいはその子のペースにそって成長しています。しかし、学校教育法の定義している学校ではないため、卒業資格も与えられず、公的支援も得られていません。ほとんど通っていない学校に籍を置き、進級・卒業は、通わない所属学校の校長裁量という矛盾も生じています。また、小中学生の子どもの保護者は、「義務教育は無償」となっているにもかかわらず、公的支援の支出がないため、かなりな金銭的負担も負っています。また、子どもや親のニーズに応えて生み出されたデモクラティックスクール・シュタイナー教育外国人学校なども、困難な中、子どもの学びの権利保障のために頑張ってこられました。

 私たちは、今、実際、市民の努力により子どもの成長を支えているこれらのオルタナティブ教育機関を、正規の教育機関として位置づけ、公的費用で学ぶ権利が保障されるようにしたいと思います。その根拠をつくるため、(仮称)オルタナティブ教育法の制定を求めるものです。オルタナティブ教育法は、憲法教育基本法の下に、学校教育法と並んで設定されるべきと考えます。

 これは、不登校が抱える問題の解決に大きく結びつくでしょう。わが国に不登校が増加し始めて30年有余の月日がたち、文部科学省の調査によれば2009年度の小中学生の不登校数は12万3000人であり、ここ数年12〜13万人の高い数字を推移しています。これまで、教育政策における不登校への対応としては、きっかけや原因、本人の気持ちや意思に関係なく、学校復帰が前提とされてきました。そのため、登校圧力が本人を追い詰めたり、登校できないが登校しなければならないと考え苦しい葛藤を生んだり、学校へ行か(け)ない子はダメ人間と自らを考え、自己否定と自信のなさでいっぱいな子どもをかなり生み出してきました。学校教育に苦しみ、自分には合わなくとも「学校」しか育つ場がないとされる社会の中で、学校へ戻されようとし、幾多の悲劇や辛さを生んできました。四半世紀たった今も、学校復帰にこだわる教育行政、親、社会のもと、克服を期待され、治療の対象とされ、意に反した日常を送って苦しいという子は後を絶ちません。この状況は変革される必要があります。