いつまで「不登校」と呼べばいいのだろう?

登校拒否・不登校を考える全国ネットワークの資料によると、

不登校」という言葉は1968年に精神医学者清水将之氏が初めて使った言葉です。

一般的に学校に行っていない状態を示すもので「登校拒否」とも言います。

と書かれていました。

 

50年以上「不登校」と言われ続けてきているのですね。

学校の中ではいまだに「不登校」はあってはならないものという意識の教員が少なからずいらっしゃいます。「来なくていいよとは言えないですか?」と聞くと「言えなくはない」と言われますが、「来なくてどうやって教育するのか?」という疑問が残るようです。「不登校」と言われ始めた昭和のままの概念がずっと伝わっているということでしょうか。

私自身が登校拒否をしたのがちょうど「不登校」が問題になり始めたころ。我が家の子どもの不登校が始まったのが30年位前。それから末っ子が中学を卒業するまで16年間小・中学校と「不登校」について戦ってきました。その後も地域福祉関係でのお仕事やSSWとして学校に入ったりして「不登校」を考え続けています。

私も家族や周りの人たちから今の子どもたちが言われていることと同じことを言われ続けました。この30年間のことを思いかえしても学校での「不登校」の扱い方や社会や保護者の見方はほとんど変わっていないように思います。学校に「行けない」本人もお父さんお母さんもずっと同じような苦しい思いを続けてきています。

この50年、社会はどう変わってきたでしょう?

時代とともに進化できてこなかったのが「学校」かもしれません。「教育」は進化しているけれど「学校」は鈍い進化しかしていません。

私たちはいつまで「不登校」という言葉にからめとられて「学校」とつながることを求めて苦しい思いをしなくてはいけないのでしょう?

「行けない・行かない」ことは学校が心配するように本当に大きな問題なのでしょうか?

学校外の新しい教育・多様な学びを探していくことで、子どもたちはたくましく成長していく姿もたくさん見てきました。

新しい「生き方」を探していくことも、ひとつの解決策ではないかと思います。

いつまで「不登校」と言い続けなくてはいけないんでしょうね?