不登校の経験

私は不登校の経験がある。

そして自分の3人の子どもも不登校だった。

自分に不登校経験があるということは、自分の子どもを「学校へ行かせる」ということにとても不安を持つ。

自分自身が「学校へ行くこと」に不安があるからだ。

学校のあの雰囲気。教員のあの態度。

PTSD、フラッシュバック・・・

でも、義務教育は容赦なかった。

「親がそんな態度だから、子どもが学校に行かなくなるのよ」

地域でもそんな言葉を浴びた。

学校に対する私の嫌悪感は上塗りされていくばかりだった。

敏感な子どもたちは何かを感じていたかもしれない。

でも、今でも多くは語らないけれど不登校の理由はそれぞれ違う。

私は「学校に行く意味」がよくわからないまま親になり、学校のありようにいちいち反感を抱く羽目になってしまった。

いつも「なんで?なんでそんなことをしなくてはならない?どうしてそうなるの?」と感じていた。

どうしても学校と同じ方向を向く努力をすることができなかった。

自分が納得できないことに同意することはできない、という性格・・・(おそらく、今でいう発達障害のボーダーなのではないかと思う。)

学校には私の思いは理解できないであろう、という経験からくる感覚。

絶対に同調しない親の私に、学校もさぞかし手を焼いたことだろう。

子どもたちが義務教育を終えた時、「縛り」から解放された思いだった。

16年もその「縛り」の中で生活してきたことは、私を不登校やひきこもりの青少年支援・家族支援をすることへとつづき、福祉の勉強へと導かれた。

なぜ、教育分野での支援しかないのか。

なぜ、福祉の支援はないのか。(当時はまだスクールソーシャルワーカーの活動が山下英三郎さんによって始まったばかりだった。)

なぜ、すぐに医療につなげようとするのか?

なぜ、カウンセリングを受けなくてはいけないのか?

そもそも心理学とかカウンセリングとは何なのか?

それらは不登校やひきこもりに有効なのか?

そんな疑問を解決するためにソーシャルワーカーになった。

現場(行政に近いところ)に入ってみると、支援は手つかずの状態であることがわかった。

ありきたりの支援をしているということが「行政」の安心である。

それは「行政」が独りよがりで安心しているだけで、当事者には全く関係ない支援になっている。

それに気が付かない「行政」は、学校と同じにおいがする。

そして、福祉が入れない「教育分野」という とてつもなく厚く大きな壁。

少しだけ大人になれた(はずの)私は、不登校・ひきこもりの青少年・家族の支援をライフワークにしたいと思っている。

現場にはいつまでいられるかわからないが、できるだけの試行錯誤はしようと思う。

当事者の思いを代弁できるソーシャルワーカーとしてやるべきことがある!と思っている。

皆さまの思い、皆さまが上げる「声」が大事です。

皆さまのいろいろな思いを聞かせていただければと思っています。