(メモ)中国新聞【「改革」の功罪、平川教育長王の6年】の記事

中国新聞記事】2024年2月15日

不登校対策や公立高の入試刷新、「深い学びの実践へ一歩」【「改革」の功罪、平川教育長の6年】㊤   

教育長が3月末の任期満了で広島県教委の平川理恵教育長が退任する。2018年4月に初の民間出身者として就任し2期6年。「学びの変革」と呼ぶ教育改革に取り組み、教育現場を大きく変えた。 

一方、トップダウンの改革手法は職員が異を唱えにくい組織風土をつくり、自身と親交のあるNPO法人と県教委の契約が法令違反と指摘される問題も起きた。県教育にもたらした平川氏の功罪を振り返り、今後の課題をみる。 

 海田西中(海田町)の校舎内にある「スペシャルサポートルーム(SSR)」。ソファや観葉植物が並び、ついたてで仕切られたスペースでは3年生3人がそれぞれ授業のオンライン視聴や受験勉強をして過ごしていた。 

 利用するのは教室になじめない生徒たち。時間の使い方は生徒の意思が尊重される。松本孝司校長(52)は「大人数の集団が苦手な子でも学校や 社会とつながっていられる選択肢になった」とうなずく。 

 平川氏はリクルート勤務などを経て、横浜市立中の校長を務めた経歴を持つ。SSRは校長時代に設けた校内フリースクールが原型だ。教育長就任2年目の19年度、県教委が海田西中を含む県内11校で始めた。従来、民間のフリースクールで追加の費用負担をして学ぶなどしていた不登校の子どもたちの受け皿を公教育としてつくる狙いがあった。 

県教委のSSRは23年度に35校となり、市町教委が独自に設置するケースも増えた。県教委は22年度、新たな支援拠点となる「スクールエス」を東広島市の県立教育センターに開設。オンラインでも学べる場として約250人が登録する。 

 県内の不登校の児童生徒数は22年度に前年度比26%増の9130人となるなど増加傾向が続く。全国でも不登校の子どもが増える中、SSRとスクールエスには教育関係者の視察が相次ぎ、文部科学省の事業にも反映されたという。 

 平川氏はこのほかにも改革を次々と打ち出した。情報化やグローバル化に対応した人材の育成に向け、県立商業高4校のカリキュラムを刷新。1年生に週1回4時間連続で「生きるって何?」を考えさせるプログラムを導入した。 

 少子化に伴う児童数の減少を受け、異なる学年が同じ教室で学ぶ欧州発祥の「イエナプラン教育」も福山市教委と連携して取り組んだ。いずれも平川氏が教職員たちと海外の先進地を視察し、構想を温めた事業だった。 

さらに大きなインパクトを与えたのが、23年春から導入した公立高の入試改革だ。従来の推薦入試(選抜Ⅰ)を廃止し、調査書(内申書)は欠席日数の記入欄をなくすなど簡素化。全受験生に面談形式の「自己表現」を課した。 

 「主体的、対話的な深い学びを実践するため一歩を踏み出せた」。平川氏は9日の記者会見で任期を振り返り、そう自己評価した。教育改革の成果は、テストの点数や進学実績といった結果だけでは測れない。この6年は子どもの成長にどんな影響を与えるのか。評価が定まるのは、まだ先になる。(長久豪佑)

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/424889 

 

中国新聞記事】2024年2月16日

トップダウンで現場は萎縮、契約問題でゆがみ露呈【「改革」の功罪、平川教育長の6年】㊥

広島県教委が入る県庁東館(広島市中区)のトイレの壁に、びっしりと手書きされたA4判の新聞が張ってある。題字は「平川通信」。平川理恵教育長が2018年4月の就任後、定期的に更新しながら掲示を続ける。 

 トップの活動や考えを職員に伝え、組織を一つにしようとするコミュニケーション術。「教育長への目安箱を設置しました」「愛知県の農業高校を視察しました」…。今年1月には能登半島地震の被災地へ赴く職員に激励と感謝をつづった。 

 県教育長は1990年代から5代続けて文部科学省出身者が務め、その後の2代は内部昇格だった。リクルート出身で起業経験もある平川氏の組織運営は、従来の手堅い路線とは一線を画した。 

 就任早々、教育長への説明時に職員が原稿を読み上げる慣行をやめさせた。教育長室を出てフロアを歩いては、職員に話しかけた。現場主義を掲げ、1年で全23市町の学校を訪問。その報告や感想も平川通信に載せた。 

 文科省の審議会委員を務めて築いた省庁や民間事業者との人脈をフル活用。職員の間では「子どものために働こうとする熱量はすごい」との声があり、いわばトップダウンの手法は教育改革のスピードを速めた。一方で次第に弊害が目立つようになった。 

 「教育長案件」―。平川氏が重用する民間事業者は県教委内でこう呼ばれた。ある職員は「案件の業者は気に入らないことを直接、教育長に伝える。業者をコントロールできなくなった」と振り返る。 

 人事も物議を醸した。平川氏の就任後、県立学校長の短期間での異動が目立ち始める。20年春までの2年で少なくとも6人が就任1年で交代。平川氏は「能力や意欲を重視している」と適材適所を強調してきたが、現場は「教育長に異議を唱えれば飛ばされる」と萎縮した。 

 ある県立学校の管理職は言う。「悪い情報を上げにくくなり、イエスマンが増えた」。平川通信など独自の手法も駆使して意思疎通を図ろうとした平川氏だが、職員の心は離れていった。 

 県教委のゆがんだ組織風土が表沙汰になったのが、22年度に発覚したNPO法人パンゲア京都市)との委託契約を巡る問題だった。 

 契約の一部を違法と判断した外部専門家は調査報告書で、職員が教育長に自由に意見し、教育長が耳を傾ける関係ではなかったと指摘。組織風土を「第1の原因」と結論付けた。 

 問題を受け、県教委は風通しの良い組織づくりを目指した。平川氏が全職員約460人と数人ずつ、ざっくばらんに話す「教育長ミーティング」を導入。職員からは「仕事がしやすくなった」との声があるという。 

 一方、ベテラン職員の一人は「相変わらず教育長に意見できる組織ではない。再建には時間を要する」とし、率直に明かした。「退任が決まり、ほっとした」(長久豪佑、久保友美恵) https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/425405 

 

中国新聞記事】2024年2月17日

契約問題の余波、本来業務にも影 信頼回復へ重い課題残す【「改革」の功罪、平川教育長の6年】㊦ 

広島県教委の平川理恵教育長は16日、3月末の退任前最後の県議会定例会で代表質問の答弁に立った。「不祥事を生まない安全で安心な職場づくりに向けた取り組みを進めている」。NPO法人との委託契約が外部調査で法令違反と指摘された問題を巡り、再発防止策の進捗(しんちょく)を淡々と述べた。 

 2022年8月に発覚した契約問題。その余波は1年半がたった今なお続いている。 

 県議会では23年度に入っても、県教委の調査の妥当性が繰り返しやり玉に挙がった。外部調査に費やした約3千万円の高額支出のほか、他の契約に絡む疑惑を内部調査で「法令違反なし」と判断した点が問題視された。 

 月給の一部を自主返納して幕引きを図る平川氏と、それを容認する湯崎英彦知事。こうしたトップ2人の対応にも、議会内外で疑問の声がくすぶり続けた。 

 県教委にとって22、23年度は、小規模県立高の統廃合基準の策定を進める重要な時期だった。内情を知る関係者は「(人員や労力の)リソースが問題の対応につぎ込まれた」と本来業務への影響を指摘する。 

 契約問題の発覚を境に平川氏主導の改革は影を潜めた。県教委は平川氏が信頼する事業者や専門家を重用する手法を一部で転換。学校図書館のリニューアルでは、22年度まで4年にわたり監修を務めた児童文学評論家の赤木かん子氏を外し、学校主体に切り替えた。 

 県教委は「ノウハウが蓄積できたため」と説明する。ただ、赤木氏を巡っても著書や特定団体の物品購入などの問題が指摘され、内部調査の対象になっていた。学校関係者たちは「継続は理解が得られないと考えたのだろう」とみる。 

 「平川氏の続投は容認できない」。湯崎知事を支える県議会最大会派の自民議連の中でさえ、厳しい声が広がった。教育関係者は異口同音に「教育行政の信頼回復」を求めた。 

 一方、湯崎知事は今月1日に平川氏の退任を表明した際、2期6年の業績を高く評価した。一連の問題は強いリーダーシップで改革を進めた中での「副作用」との認識を示し、退任とは無関係だと強調した。 

 後任人事に関心が高まる中、13日には文部科学省出身の篠田智志・文化庁政策課長を充てる方針であることが判明。文科省出身の教育長は07年に途切れて以来、17年ぶりとなる。 

 県教委は1998年、教育内容や学校の管理運営に不適切な実態があるとして、国から是正指導を受けた。教育長が文科省出身だった当時は、法令順守の徹底や組織の立て直しを進めた時期と重なる。 

 少子化や多様な学び、教員不足、働き方改革…。教育を取り巻く環境やニーズは大きく変動している。新たな教育長は平川氏が推し進めた「学びの変革」とどう向き合い、県教委の組織風土をどう立て直すのか。信頼回復に向け、難しいかじ取りが迫られる。(長久豪佑)   https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/426152